『鬼滅の刃』の劇場版といえば『無限列車編』で一躍名を上げましたが、今回の『無限城編』はそれを遥かに超えるスケールでファンの期待に完璧に応えています。
ネタバレは無いので安心してね。
圧倒的な映像と音楽
スクリーンいっぱいに広がる無限城。あの幻想的な空間に包まれた瞬間、まるで物語の中に自分も足を踏み入れたよう。天井がゆっくり回る。廊下がつながっては崩れ、階層が重なっていく。そのたびに視界が揺れて、心もふわりと引き込まれていくような感覚。
とにかく映像がヤバい。これはアニメシリーズから感じていたことですが劇場版はマジでヤバい。息をのむほど美しくて圧倒的な映像は、ただ「見ている」だけではなく、実写映画のような圧倒的な映像を「感じる」ものだったと思います。色の濃淡や陰影が繊細で、登場人物の感情をそっと照らしてくれる。戦闘シーンでは動きの速さと緩やかさのバランスが絶妙で、まるで一緒に体を動かしているような錯覚さえ覚えました。
そして音楽。今回は5.1chサラウンドで鑑賞しましたが、映画館の音響には毎回感動して鼻水が止まらん。特に印象に残ったのは、戦闘シーンでの音の定位の使い方です。刀が交差する音や、鬼が空間を飛び回る音が「右から左へ」「奥から前へ」ってリアルに動く。そしてキャラクターの声や足音で、敵の位置と距離を、観ている観客が感じ取れるのも一体感があって面白い。立体音響ってスゲー。座席は会場のド真ん中に座るのがおすすめ。
それと、回想シーンでの静かな演出もすごく良かったです。周囲がほとんど無音に近くなったときに、音楽がふわっと浮かび上がる。そのタイミングが絶妙で、「ここで心を揺らしてくるのか…」って、思わず息を呑みました。
複雑に絡み合う「鬼の事情」
鬼滅の刃はここが面白いんよね。
人間を襲う存在として描かれる「鬼」。でも『無限城編』ではその鬼たちにもまた、ひとりひとり異なる“事情”や“過去”があり、戦闘中の回想でそれを回収していく。
仇が人間だったか、鬼だったか──それが逆だったら運命も変わっていたかもしれないと、回想シーンを挟むたびにぐるぐると頭をよぎるのは僕だけじゃないはず。
そんな“もしも”を考えさせられるのが『無限城編』の面白さで、ただの善悪では割り切れないところと、鬼の事情を感知した炭治郎が見せる隙。ここが観客との答え合わせになった気がして実におもしろい。そして驚きのあまり呼吸を忘れてしまうほどのセリフ力。いやそっちの呼吸ではない。それにしても炭治郎ってほんとにやさしいよな。
どちらが正しくてどちらが間違っているのかなんて戦いの中では曖昧になっていく中で相手が人間であれ鬼であれそれぞれが何かを背負っていて何かを失っていて何かを求めていたのは確かなんだと思う。今回は特にお互いが「守りたかったもの」と「守れなかったもの」そこの事情が人間と鬼のターニングポイントだったのではなかろうか。
バトル漫画にありがちな展開ではあるけれど、それでも鬼滅の刃の魅力は“ありがち”を超えてくるところにあると思う。回想のタイミングが絶妙で戦いの緊張が最も高まったその瞬間にふと挿し込まれることで一瞬にして空気が変わる。敵の背景を知った途端、こちらの感情も揺れ始めて「勝ってほしいけど、なんだか切ない」という複雑な気持ちになる。
そんなシーンが死ぬほどあるのにも関わらず、どれだけ観ても一切読者をシラケさせないところがすごいと思った。
そして今回の映画の回想は映像と音楽の力でさらに倍プッシュ。過去ののどかなシーンから重く心苦しいシーンまで、音楽となって鬼の感情をそっと包み込むように描かれる。それはもう“敵を知る”というより“誰かの人生を垣間見る”ような感覚。
『無限城編』は、アクションで魅せる作品でありながらもそこの絶妙なバランスが面白さの核心なんじゃないかと思います。
ただ残酷で恐ろしい敵ではなく、何かを背負って生きて(死んで)いる存在──そう思える瞬間がたくさんありました。
あの静かな切なさこそが、『無限城編』の面白さのひとつだと思いました。
そして、その感情を引き出す映像と音楽の力もまた見事で…。心が揺れるたびに、画面と音がそっと寄り添ってくるような感覚になりました。
『無限城編』はただの刀を振り回すだけのアニメ映画ではなく、五感で味わう一つの体験でした。観て、聴いて、感じて──気づけば作品の一部になっている。そんな特別な時間を、まだまだ見ていたい、感じ取りたいと思わせるような映画でした。
以上です。
ところでなぜ、鬼たちは暗闇でも目が見えるのに無惨様は無限城を明かりでギラギラにしていたのだろうか。。。まあそれはいいか。。。(笑)
続編は来年かな?楽しみ。
ぜひ、イマーシブ音響のデッカいスクリーンで観てください。
お兄さんとの約束だ。
ではまた。